渡邉さんの自己紹介と、これまで見てこられた世界観についてお話いただけますか?

はい。私は群馬県の前橋市で生まれ、学生時代は大学まで野球を続けていました。その後、都内の広告代理店で5年間勤務し、その後に父が営んでいた電気工事会社に入りました。

なぜ父の会社に入ったかというと、父のことをものすごく尊敬していたからです。小さい頃から野球の送り迎えをしてくれたり、常に自分の時間を私のために使ってくれていた印象があって、いつか父の助けになりたいという思いがずっとありました。

ただ、実際に入ってみると、自分は電気そのものに興味があったわけではなく、業界特有のカルチャーにもなかなか馴染めませんでした。そのため、10年、15年ほどは非常に苦しかったと思います。

その期間は、ある意味で父のスタイルや業界の慣習の中に身を置く時間でした。でも、自分が代表になるタイミングで、徐々に変化が生まれてきました。

一番大きかったのは、「電気工事」というものを自分なりにもう一度解釈し直したことです。解釈が変われば、当然、表現も変わってくる。そのなかで、「ビジョン」や「バリュー(価値観)」といったものを強く意識するようになりました。

この段階になると、「電気工事」という言葉自体にあまり囚われなくなっていて、それよりも「企業として私たちは何者であるべきか」という問いに、ずっと向き合っていたように思います。いろんな葛藤がありました。

そこから、地元での「まちづくり」に関わるようになった経緯を教えてください。

同時期に、地元で「まちづくり」の文脈の中でさまざまな方々と出会い、世界を巡る機会もいただきました。当時は「多様性」というテーマでポートランドに行ったり、テックトレンドを学ぶためにシリコンバレーにも行きました。

シリコンバレーでは、電気に関わる技術的な文脈にも通じるものがあり、「将来的には、こういったデジタル化された都市やライフスタイルが日本にも生まれるだろうな」と強く感じたんです。

そういう視点を持って前橋に戻ってくると、他の人には見えていないものが自分には見えている感覚があって、それをもとにいろいろなアクションが取れるようになりました。周囲からは「面白い取り組みをしている会社ですね」とか、「電気工事会社なのに変わったことをやってますね」といった声もいただくようになっていきました。

その中で、「電気の未来にワクワクする」というビジョンを掲げました。このビジョンは自分にとってもすごく大事なもので、「電気を通じて喜びや感動を届けられる会社にしよう」と決めたんです。それを軸にして会社づくりを進めていきました。

もちろん父もまだ現役でしたから、「お前、何をやってるんだ」とか「これは電気工事会社じゃないだろ」と言われたことも何度もありました。でも私は、「自分なりの解釈と表現をやらせてほしい」と父に何度も伝え続けました。

だからこそ、自分の中では「原流」として、父やこれまでの先人たちが築いてきたものを大切にしたいという思いが常にありました。そして、「クライアント」と呼ばれる皆さんにどんな価値を提供できるかということも、常に意識していました。

ただ、父と自分とで少し違っていたのは、「社会に対するインパクト」という文脈を自分が強く持っていたことです。だからこそ、自然と社会性のある環境や枠組みがここ数年で整っていったのかな、と感じています。

現在取り組まれていることや、新しいチャレンジの中で見えてきたことはありますか?

テクノロジーのトレンドに触れる中で感じたのは、人間が求めているものの軸が、「便利さの追求」と「経済合理性」の2つに強く引っ張られているということです。

でも、私たちが今重きを置いているのは、単に便利さや効率性ではなくて、「地球と人間のあり方」とか、「人間の本質的な生き方って何だろう」というところなんです。

もちろん、テクノロジーの最前線にもちゃんと目を向けつつ、でも同時に、人間のプリミティブな部分――原始的で、本来の感覚的な部分――をすごく大事にしようという姿勢で取り組んでいます。

たとえば、実際に森をつくったり、動物たちと共生するような環境をつくったりしていますし、人間本来の営みや習慣をもう一度見つめ直すような活動もしています。

しかもそれは、ここ100年とか200年といった短いスパンではなくて、もっと1000年とか2000年という時間軸で、人間が見てきた景色や感じてきた感覚を、改めて感じ取りたい、調べてみたいという思いから始まっているんですね。

だから、文献だけじゃなくて、実際に2000年にわたって文化や風景を紡いできた場所、日本の古来の文化が残っている場所などを積極的に訪れていますし、海外でも、まだ文明がそこまで入り込んでいないような地域にあえて足を運んで、視察したり体感したりしています。

そういう活動が、今の私たちにとって一番大きなテーマになっています。

そういった「経済人」ではない領域での、人間の活動を見て、何か感じている部分はありますか?

そうですね。私自身、今はそういう流れの中に自然と身を任せているような感じで、すごく“楽”なんですよね。

もちろん、不便さもあります。不便だし、経済的な合理性からは外れている。でも、やっぱり“楽”なんです。心地がいいというか。

いわゆる「ウェルビーイング」みたいな言葉があると思うんですけど、私にとっては、「楽であること」がとても大切で。動物たちと一緒に暮らしたり、時間の使い方、人との関係性の築き方、そのどれもにおいて、自分自身が本当に「楽な日々」を送れているなと感じています。

それは自分だけじゃなくて、スタッフに対してもそうで。あまり干渉しすぎないようにして、それぞれが自分の意志で自由に動けるようにしています。

そのために、場としての「デザイン」はすごく意識的に行っています。これは組織だけじゃなくて、地元のコミュニティでも同じです。

私の視点としては、強制力を使って人をコントロールするのではなくて、それぞれの個性と個性をどう掛け合わせたら面白くなるか、ということを意識しています。

今、一緒に活動している人間以外の生き物は、どんな子たちがいるのでしょうか。

今は、馬が1頭いて、もうすぐ2頭増える予定なので、合計3頭になります。ロバは2頭います。それから犬。犬は、天然記念物にもなっていて、縄文人が猟をする時に一緒にいたとされるアイヌ犬が2頭います。

それと、うちで“飼っている”というよりは、勝手に来てる存在として、猫とカラスもいます。猫とカラスは、ちょっとハイブリッドな存在みたいな感じで、うちの敷地に普通にいます。そんな種たちが、今一緒にいる仲間ですね。

今後どんな景色やあり方を見出していきたいと感じておられますか?

正直に言うと、「こうしたい」っていう明確なビジョンは、もう私の中にはないんですよね。

というのも、自分の中で原点になるような「土」みたいなもの――根っこの部分を、もう掴んでしまったからだと思うんです。「こういうあり方が大事なんだな」っていうマインドに、完全に振り切って、全振りしてるというか。

だからあとはもう、自然といろんなことが生まれてくるんですよね。

もちろん、最初は戸惑いもありましたし、勇気も必要でした。たとえばロバが最初に来たときなんか、社員や周りの人から「なんで会社にロバがいるんですか?」って聞かれるわけです。でも、そこを振り切る覚悟が必要で。

森をつくるときも同じです。そうすると勝手に森が広がっていったり、動物の種類が増えていったり、子どもたちや地域の人たち、地域のお祭りへの関わり方も含めて、どんどん引っ張られて、巻き込まれていくような感覚があるんですよね。

今って「UX」っていう考え方がありますよね。最大効率とか最大成果みたいな、そういう意味で使われることも多いですけど、自分なりのUXといいますか。

本来、人としてあるべき日々のルーティン――それをちゃんと純化した上で、地域の人たちとか、地域のお祭りみたいなものに関わっていく。そういう自然な関係性の中で、自分たちなりのUXが出来上がってきてるのかなって、最近は思ってるんです。

でも正直、「経済合理性」だけで物事を考えてしまうと、多くの人たちが本当に大切なものを、「UX」っていう言葉のもとに効率のためにどんどん手放していってる気がするんですよね。

で、そうなるとどうなるかっていうと、常に何かを“作り続けなきゃいけない”状態になる。いつもバタバタしてて、場当たり的。でも、それって「生まれること」とはまた別なので、すごく大変だと思うんです。

だから、そういうことに気づいている仲間たち――一緒に活動している人たちは、同じ言語感というか、感覚で共鳴してると思うんです。

そういう人たちのことをどう見ているのでしょうか。

うちは、「超自立分散主義」みたいな考え方を持っていて、基本的には全部を任せているんです。思考性も、働き方も、価値観も、全部。

だから、こちらから強く干渉することもないし、相手からもあまり干渉されない。そうやって時間が経っていく中で、自然と「デザイン」が生まれてくるんですよね。

そのデザインっていうのは、すごく多様なんだけど、外から見ると「これがソウワ・ディライトのデザインなんだな」っていうふうに見える。で、お互いにそれをちゃんと認識して、リスペクトし合ってる。そういう関係性があるんじゃないかなと思ってます。

でも、それって言葉で説明するのはすごく難しくて。言葉にしようとすると、ものすごく時間がかかるし、うまく伝わらないことが多い。

だったら、もう先にやっちゃう。背中で見せる。そういうスタンスなんですよね。「やっちゃったもん勝ち」っていう感じで。

それで、「お、なんか未来の線が少し動いたな」っていう感覚が生まれるんじゃないかと思ってます。

だから、今こうして“人主義”的に活動している中で、「これに向かって進もう」みたいな明確なゴールって、もうないのかもしれない。そんな気がしています。

渡邉さんが描いている未来って、どんなイメージなんでしょうか?

それを言語化するのはすごく難しいんですけど、近い言い方をするなら、「もっとみんながフラットでいいんじゃないか」って思ってるんです。ジェンダーの問題とか、経済的なヒエラルキー、世代間の違いとか、それだけじゃなくて、「種」も含めて。すべてがフラットであってもいいんじゃないかなと。

そうすると、デザインのあり方も、関係性の作り方も、全部変わってくるんじゃないかなと思ってます。

実際にどんな生活をされてるんですか?

こういう話をしてると、「すごく質素で大人しい生活をしてるんでしょ?」って思われるかもしれないですけど、実際にはみなさんと同じような普通の暮らしをしてます。でも、ある瞬間に「これ、ちょっと違う目線で見てみようかな」とか、「フラットという視点を加えてみたらどう見えるんだろう?」ということは、常に意識しているんですよね。

もしそういった視点が地球全体に広がっていったら、もっと優しい世界になるんじゃないかって思っています。

自然の摂理として、人間のマインドが自然と変わっていく可能性も?

あると思います。せっかくこの世界に、この時代に生まれてきたからには、自分のアイデンティティが少しでも世界を良くする方向に働いてくれたら嬉しいなと、そんな風に思っています。

今後のビジョンの話をお伺いさせてください。

代表になって、「電気の未来にワクワクする」というビジョンを掲げて、それに沿っていろんな取り組みをしてきたんです。でも、ある時から「森づくり」というテーマに取り組む中で、疑問が出てきたんです。
シリコンバレーで最先端のテックトレンドに触れたときに、「これ、わざわざデジタルやビッグデータを使ってやる必要あるのかな?」って思ったんです。もっと他に、本当に必要なことがあるんじゃないかって。

そのあと、中国の上海や深圳にも視察に行きました。そこで見たのは、私たちの行動がすべてデータ化され、管理される社会でした。効率は格段に上がってるし、タッチポイントも増える。でも、それが本当に「良いこと」なのか、すごく疑問に思ったんです。

テクノロジーの進化がもたらす影響に対する違和感だったんですね。

そうです。メタバースとかバーチャルなアプローチ、農科学など、さまざまな技術が進化している中で、「これって、全部“デジタル”って言葉でひとくくりにされちゃいそうだな」と感じたんです。

そこで初めて、「電気がなかった時代を知りたい」と思ったんです。

電気のない時代に遡る、というのはどのような視点だったんですか?

なんとなくなんですけど、電気があったからこそ、ここまで人間中心の文明が急激に発展したんじゃないかって感じて。その起点を調べてみたんですよ。

そしたら、電気の起源って、紀元前600年ごろ、ギリシャの哲学者タレスが琥珀をこすって静電気を発見したところから始まるんですね。そこからテスラが交流電流を発明して、アインシュタインが原子力を理論化して…エネルギーの源としての電気が、どんどん展開していった。

で、ふと思ったんですよ。当時、地球の人口ってどのくらいだったのかな?って。調べたら、約1億人くらいだったんです。それが今、80〜90億人ですから、80倍になってるわけです。

電気の発見以降、人類が急激に増えたということですね。

はい。電気は便利だけど、他の生物にとっては、バランスを崩す存在になっているかもしれない。環境負荷もあるし、地球だけでなく宇宙にも影響を与えかねないテクノロジーを、今の人類は持っている。

そして、私たち人間のほんの小さな“発見”が、宇宙の連続性を破壊することもあるんだなって気づいたんです。タレスの静電気の発見から始まった流れが、地球や宇宙に影響を及ぼしている。でも逆に、小さな気づきや行動で、連続性を健全な方向に戻せる可能性もあるんじゃないかとも思っています。

その気づきが、今の活動の根幹にもあると。

まさにそうです。今、大事にしているのは「人のあり方」。80倍になった人類が、電気をどう扱っていくのか。その問いに挑み続けることが、自分のテーマなんです。

そしてもうひとつ、最近は「私たちはもう“人”ではないかもしれない」っていう感覚もあるんです。人ならざる存在として、いまこの生態系の中でなんとか成り立ってるんじゃないかって。

「人ならざる存在」という言葉が出てきましたが、それはどのような感覚なんでしょうか?

なんというか、もう“人”として成り立っていないというか、人間ではない何かとして、私たちが今この地球上に存在しているんじゃないかっていう感覚があるんです。もちろん馬鹿にしてるわけじゃなくて、それだけ今の生活様式や環境が、人間本来の姿から大きく離れてしまってるっていうことだと思ってます。

で、そう考えると、「人ならざる人」として成り立ってる私たちのマインドにも、何か“こんなもんだ”っていう諦めや割り切りが生まれてきているんじゃないかと感じています。

でも、一方で“人”は確かにいて、特に若い世代や子どもたちには、人としての感性をしっかり培ってほしいと思うんです。それを未来に紡いでいけるようなアクションをしてもらえたら嬉しいなと。

「みんなこれやろう」とか「こっちの道が正解だよ」とか、強制するつもりはないです。でも、社会のメインストリームがあるなら、その反対側にあるような価値観やあり方を示すのも大事だと思うんです。

岡本太郎さんが「対極主義」ってよく言ってましたけど、やっぱり対極的な考えが立っていないと、人は自分の中のバランスを見出せないと思うんですよ。一方的だとプロパガンダになるし。

だからこそ、今の社会に対して「こういうあり方もあるよ」と提示することが、これからの企業家にとってすごく重要なんじゃないかと思います。

たとえば、外注駆除の会社って普通は無機質であんまり面白くないじゃないですか。 でも、何かデザインとか、訴えかける何かを加えるだけで、今までなかった反応が生まれると思ってます。

そういえば、オランダの話されてましたよね?ミクロピアっていう。

ネイバーフっていう展示があって、「君の部屋にはこれだけの微生物がいる」みたいな。で、学芸員の人が毎日お札についた菌を採取して育ててたんです。

展示にしてるのもすごいけど、日本人が元々持っている「清潔」とか「不衛生」っていう感覚を、ちょっとずらしてあげると面白いなと感じました。

21_21 DESIGN SIGHTでもうんちの展示をやってましたね。

今度、うちでも透明の塩ビパイプでタワーの上にトイレ作ろうと思ってます。

6~7メートルくらいの高さにトイレ作って、排泄物を塩ビパイプで下まで通すっていう。それをちゃんと水道設備も整えて畑と直結させたいんです。

子供も使ってくれたら嬉しいですね。「汚くない」という啓蒙にもなると思うんです。排泄って、もっとプリミティブな自分と出会う行為だと思ってます。

森の中のトイレも同じ発想ですか?

そうそう。あれも「プリミティブな自分と出会う」っていうコンセプトで作った。排泄という行為そのものが循環の一部だっていうのを体感できるように。

実際、うちのカラスもそのような存在です。“パートナー”って感覚で接してます。

動物たちは、一般的な経営者には懐かないですか?

ちなみに3つの種──馬、カラス、アイヌ犬──は特にパーソナルスペースがはっきりしていて、こちらの精神状態が乱れてると近寄ってこないんです。コントロールできないし、馬なんてすごい力だし、カラスはすぐ飛んでくし、犬は牙を剥いてくることもありますね。

経営者的な人たちって、動物の“世界”に入ってこない。ゾーンにも踏み込まないし、「動物飼ってるんですね」とか「なんか匂いしますね」で終わってしまう。動物たちも近寄らないし、逃げちゃいます。

子どもたちはちゃんと来る。だから、リーダーシップとかいろいろあるけど、動物に判断させるのが一番早いんです。「あなたは向いてる」「あなたは無理」って、彼らが教えてくれる(笑)。
自分のマインドが映されるからこそ、毎回気づきがある。それが本当に面白いんです。