これまでのご経歴などを、聞かせいただけますか?
まず、ちょっと緊張してますよ。だって、渋谷とか原宿とか、こんなところ連れてこられたの、私らの種族始まって以来ですからね。びっくりしてますよ。 種族は、2億年くらい前なんですけど… 分かりますか? ジュラ紀ですよ、ほぼ。今で言うと、そのあたりの化石から出ているというふうになってます。その頃、私、どんな姿だったか知ってます?
実は、羽があったんですよ。羽があった。で、いろいろ分析できるわけです。昔の私たちがどうだったかと。お腹の中から花粉が出てくるんですよ。羽があって、花粉があったということは、花にむらがって花粉を食べてたわけですよね。今や我々は、肉しか食わないですから。昔はベジタリアンだった。それが今、肉食になったということです。ベジタリアンの人から見たら、面白くないような感じかもしれないですけど、仕方ないですよ。これしか食べるものがないんだから。
現在はどちらにお住まいですか?
私ですか? 沢沿いの湿ったところの、洞窟環境ですね。そういうところじゃないと、生きていけないんです。少し乾くと、体が紙くずみたいになって、カラカラになって死んじゃう。即死ですよ。だから、湿っぽいところにいなきゃいけないんです。
ご近所には、どんな方が住んでらっしゃるのですか?
たくさんいますよ。たとえば「イイヅカミミズ」っていう、すごく大きなミミズがいるんです。私の何十倍、何百倍もありますね。彼らが道を掘ってくれるんです。私たちはその掘った道を伝って移動する。
で、ミミズさんがうんこをします。そのうんこが、けっこうねちゃねちゃしてる。有機物が残ってるんですよ、落ち葉とか食べてるから。それを食べに、トビムシさんとかダニとか、たくさんの仲間がやってくる。カビも生えますしね。そういうのを食べたりしてる。
排泄物が、生態系を支えているのですね。
ええ、そうです。そのねちゃねちゃしたうんこが、「ガレ場」の隙間にたまっていく。洞窟の中にコウモリのうんこが積もる場所がありますよね? あれに似たような感じ。岩盤から剥がれた大きな石がドンドン落ちて積み重なり、隙間ができる。それが1〜2メートル下まで続いていたりする。その隙間がつながっていくと、暗黒多湿の洞窟環境と同じになります。ただし、ガレ場はちょっとしたことでガラガラっと崩れちゃう。でもミミズのうんこが、その崩れを防ぐんですよ。接着剤のような役割を果たす。だから、空間―空隙が維持される。僕らはそういう場所を使って暮らしているんです。
昔からガレ場というのはあったんですか?
それはありますよ。ガレ場っていうのは、岩が露出してくる場所ですよね。僕らの祖先の頃にも、大陸移動レベルのスケールで大きな地殻変動があったわけです。いろんなプレートが動いて、衝突したり、離れたりしていた。人間界で言うと、1970年代くらいに「プレートテクトニクス」って言葉が出てきたんでしょ?
でも、それよりずっと前からそういうことは起きていて。プレートがぶつかると隆起して岩が上がってきたり、逆に土がなくなって岩が露出することもある。その岩が、雨や風にさらされて風化してくる。ひびが入って、ゴロゴロと落ちてくるわけです。そういう場所に雨が降ると川ができて、脇が崖になってくる。そして、どんどん崩れていく。岩が風化して、ガラガラと崩れてくる。そういう場所が、ガレ場ですね。そういう場所は、大昔からありましたよ。
大昔というと、どのくらい?
私たちは2億年前は空を飛んでいたんですから。関係ないんですよ、地面がどうなっていようと。きれいな花がバーッと咲いていれば、生きていけたんです。でも、種類も多くてね。昔は80種、90種ぐらい、私たちの仲間がいましたよ。だけども、空を飛んでると他の生き物との競争率が高いから、地下に潜っちゃった。それでね、今は空飛んでいるガロアムシの仲間っていませんわね。
それからずっと、地下に?
その間、その2億年から現在に至るまで、気候変動がありましたね。地上っていうのは、だいぶ気候の変動に左右されやすいわけですわ。地下はね、ほとんど地表の気候変動に影響されなかったってことですよ。だから私らは「生きた化石」みたいに言われるけども、2億年前そのままの、だいたいその血筋をずっと維持してここにいるっていうのは、我々の今地下にいるガロアムシの仲間だけですからね。まだ別の暮らしをしている仲間がどっかで見つかるかもしれないですけども。そういう理由があったのではないかなと思います。
ガロアムシさんが暮らしている山の環境に、何か変化を感じますか?
山に関して言えば、そんなに変わってないようにも見えるんですよ。でも、ちょっと変わってきてるところがある。
昔ね、人間は山をちゃんと使ってたんです。薪をとったり、草を刈ってかやぶきに使ったり、刈敷にしたり。そういうの、全部循環資源ですよ。
ところが今は、石油やらガスやらで便利に暮らせるもんだから、人が山に入らなくなった。そうすると何が起きるかっていうと、シカが増える。イノシシも増える。
シカやイノシシの数が増えたことで、どんな影響が?
人間が山に関わらなくなって、シカやイノシシの天敵がいなくなったってことですよ。
昔は人がシカやイノシシを食ってたわけです。畑を荒らすから「こいつやっちゃえ」って殺して食う。つまり、個体数の調節を人間がやってた。
ところが保護だなんだって言い始めたら、今やシカが爆発的に増えちゃってる。で、ジビエとか言ってまた食べ始めたけど、それでも増殖は止まらない。
具体的にどんな変化が起きてるんでしょう?
たとえば、私の住んでる神奈川県の丹沢。あの山ね、シカが草という草を食べちゃって、草がなくなるんです。木はありますよ。でも木って、何百年かすれば倒れるでしょ? 倒れたあとのちっちゃい後継樹、それが生えてこない。シカが全部食べちゃうから。そうすると、いずれ今あるブナやウラジロモミが倒れたときに、それっきりで再生できなくなる。
さらにね、土壌が乾燥してくるんです。私ね、乾燥ダメなんですよ。生きていけない。沢もね、水が出ないようなところが増えてきてる。ギリギリ、細々と生きてますけど、このままじゃ山が草原になって、やがては荒野になる。そうなったら、私ら住むとこなくなるんです。
その原因は、やはり人間にある?
ええ。直接ではないにしても、人間が山を使わなくなったことでシカが増えて、シカが草や若木を食べ尽くして、山が変わってしまった。結局、人間の営みが山に影響を与えてるってことですよ。
人間とガロアムシって、意外と関わりがあるんですね。
ありますよ。今の話なんか、まさにそう。ガロアムシ、どんどん山からいなくなっていってるんです。そして仕方なく、少しずつ里に下っていく。で、里にもいるんですよ、実は。沢さえあればね。私ら、沢を伝って動いてますから。湿っぽいところがあれば、そこにいる。
タテノっていう人がいてね、その人が私らの絵を描いてくれたんです。相模原のね、住宅や工場が立ち並んでる地域――相模川のそば、住宅街のすぐ下あたりですよ。そこにも、仲間がいたんです。
で、そういうところに住んでると、こんなことも起きる。たとえば、大雨が降って崖が崩れる。人の家が危なくなる。そうなると、「なんとかしてくれ」って行政に頼むでしょ? そうすると、ちゃんと崖を固めてくれる。「これで安心です」って。
川も同じですよ。氾濫しないように護岸工事する。「これで安全です」って言う。でもね、そういう場所に、私たち住んでるんですよ。誰にも気づかれずに、いなくなってる。だけど、私たち反対運動とかしませんから。ご安心ください。大人しく、静かに死んでいくだけです。
お仲間とかご家族とかは、減ってきてしまっている?
そうでしょうね。減っているでしょうね。でも、長い目で見れば、僕らなんかもう2億年の話ですから。これ、数百年の話でしょ? だからね、もうどうにもならないんじゃねえかなっていう気がしますよ。
で、私ら滅びるってことに対して、別に怖くも何ともないんで。別に滅びたっていいかな、と思ってますね。
ガロアムシさんが思い描く、未来の世界ってありますか?
うーん、未来って言われてもね。そもそも私らには「自然」っていう概念すらないんですよ。人間が「これは自然だ」と意識して、はじめてそういう言葉、概念が生まれるんでね。私らからすれば、人間もガロアムシも、同じものなんです。対象でもなんでもない。ただ、そういうふうに存在してるだけ。
だから、「未来をこうしたい」とか「こうなってほしい」なんてのも、あんまりないですわ。なるようにしか、ならん。人間が何をしようが、私らが何をしようが、結局はそうなる。だから、それを全部ひっくるめて、私は「自然」って言ってるんです。「なるようになる」ってことですね。
タテノさんが描いた絵に出てくる私らも、あれは人間が8年かけて手を加えた結果、生息地がなくなったという話。でもタテノさんは、それを「良い」とも「悪い」とも言ってないんですよ。ただ、「今こうなってます」ってだけ。
それから、もうちょっと踏み込んで言うと、奥山の景観図ってのがあるんですね。「この辺は変わった」って示すものなんですが、山の稜線には、風力発電の風車が並んでる。昔は畑だったところには、メガソーラーができてる。でも、奥山自体は意外と変わってないんですよ。
これから気候変動でどうなるかは分かりませんけど、人間がいなくなったら、いずれあの構造物も崩壊しますよね。護岸だってコンクリートでできてるけど、あれだって石灰岩、つまり生物由来のもので作られてる。いろいろ混ぜ物はありますけど。管理できなくなったら、崩れてガレ場になる。
そしたらどうなるか?ガレ場ができれば、私らまた戻ってこれますからね。「まあ、いいじゃん、それでも」って、そういう考え方もあるわけです。わざわざ、その話をしに来たんですよ、今日は。
人間という種に、何か伝えたいことはありますか?
ああ、そうですね… 多分ね、一回滅びてみたらわかるんじゃないかなと思うんですよ。「ああしときゃよかった」ってね。
ただ、人間の方々って、みんな頭でかいでしょ。いや、我々もでかいですよ、頭。でもその中に脳みそ入ってるわけじゃないんですよ。人間の場合は哺乳類にあるまじきこの頭のでかさだから、早く生まれなきゃしょうがないっていう。頭でかくてこの世に出て来れなくなっちゃうから。
で、この頭の大きさってのは、なんでかって言うと、元々人間ってすごく弱かったからでしょう? 森にいれば何でも食えたけど、「お前は外に出ろ」って草原に放り出されて。これがまた危ない。肉食動物に見つかっちゃうし、食われちゃう。だから「やばいな」と思って立ち上がって、見回して、二本足になって、手が使えるようになって、頭が良くなって、工夫するようになった。
最初はハイエナが食った動物の脊髄とかを拾って食ってたんでしょ。そこから「どうやったら生き延びられるか」って工夫して、探究して、脳みそが発達したわけです。
知恵をつけて、道具を生んだ。
そう。技術も生まれたし、道具も生まれた。でも、それは結局「楽に暮らすため」にあるわけでしょ。本来は。
でも人間の脳ってのは、それだけじゃなくて予測もできる。たとえば日本の田舎の人なんか見てたら、「これ以上山菜採ったら来年出なくなる」とか、「キノコ採ったら根元は埋めとかなきゃ」とか、知ってるわけですよ。それは全部、“来年のため”にやってること。予測できるから。そういうことのためにこのクソでかい脳みそがあるんじゃないですか。
でも現代は、それを活かせてない?
そうなんですよね。過去のことも、もう分かってるんですよ。800万年とか、ホモ・サピエンスが出てきて20万年とか。旧石器時代に何食ってたとか、道具がどうだったかもわかってる。中世だって近代だって、人を殺しまくってるわけでしょう。資源の奪い合いとか、領地の取り合いで。今も、戦争してますわな。世界中で。
虫でそういうことがあるかって言ったら、ないですよ。食えなきゃ滅びるだけ。誰かが来たからって、殺し合いにはならない。むしろ譲るって感覚が近いかもしれない。
じゃあ人間は、どこで道を間違えたんでしょう?
それはね、考えることをやめちゃったんだと思う。ちゃんと脳みそを使って、「これでいいのか」って過去を振り返って、「じゃあ未来はどうなるんだ?」って考えればいいのに。
それぞれが自分の立場で、自分の生活で、「何ができるか?」って考える。子供がいる人は、その子の未来を想像すればいいし、子供がいなくても、周りにいる子供を見ればいい。「この子、大人になった時にどうなるんだろう?」って。それが想像できるのが人間でしょ? だったら、「どうすればいいか」を考えるのが、人間様の一番正しい脳みその使い方じゃないのかな。
“人間らしく生きる”って、つまり?
そこなんですよ。僕らガロアムシは、ガロアムシなりに力いっぱい堂々と生きてます。だから人間も、人間らしく生きればいい。
じゃあ“人間らしく”ってなんなのか。そこを、1人1人が考えるべきなんじゃないですかね。はい。
種が生き延びること、あるいは絶滅することに、何か意味はあると思いますか?
素晴らしいご質問だと思いますね。私は、ガロアムシとしては、自然に善も悪もないんですよ。だからそういうことは別に考えなくてもよろしい。私はそう思ってます。今どう生きるか。これが我々ガロアムシの……なんて言うんだろうな、人生訓じゃないですけど。人じゃないよね、ガロアムシだから。じゃあ“ガロアムシ聖訓”ですかね。
潔く、勇敢に、無垢に、今を力いっぱい生きる。もうそれだけでいいんじゃないですかね。
なるほど… でも、そういう“今”の連続が、結果的に種を残していく?
そうですね。種を残すっていうのは、人間だってガロアムシだって、体の仕組みとして入ってるんですよ。残酷ですよ? 小さい頃は共食いをするし、兄弟だって食いますから。何でも食う。動いてれば食う。
それが種を残す方法なんですよ。だから私はセンチメンタルにはなれないんですよ。どんなに過酷でも、種を繋がなければ意味がない。たとえば花蜂に寄生する虫がね、1匹しか生き残れない。2匹いたら両方死ぬ。だからどっちかがどっちかを殺す。それが“選択”なんですよ。正しいとかじゃなく、ただそうして生きてるだけ。
でも、そうやって生き残った種も、ある日絶滅するかもしれない。
そのとおり。絶滅は何度も起きてます。気候変動、自然災害、外来種の台頭…理由は色々あります。でもそのたびに、生き物たちはまた新しい形をつくってやり直してきた。
だから、人間の皆さんが「この種が絶滅した」「守らなければ」と思うのはわかるけど、私らは違う。
ただ、それでもね、「オガサワラシジミ」の最後の1匹を見たタテノさんは、友人の最期に立ち会ったような気持ちになったと言ってましたよ。
もし、地球そのものが寿命を迎えるとしたら…?
そう、地球だって死にますよ。プレートテクトニクスが止まって、熱運動が失われたら生物はいなくなる。何億年後かわかんないけど、必ず死ぬ。
それは私たちも同じ。あなたも、あなたも、みんな死にます。
だからこそ、どう生きるかでしょ。諦めるのか。誰かのために生きるのか。未来のために生きるのか。
私はガロアムシなりに生きるけど、皆さんはどうやって生きるんですか? そう考えること自体が、大切なんじゃないですかね。