都市昆虫を研究するようになった原点を教えてください。
大学1年生のとき、統合動物学の授業で昆虫について学び、「これだ、自分がやりたいのはこれだ」と思いました。担当教授は蚊の研究で知られる方で、講義を通じて、蚊が人間社会に大きな問題をもたらしていることを知りました。
その後、教授の研究室で働き始め、ゴキブリやシロアリ、アリなど、都市環境で害虫とみなされる昆虫に出会いました。私は技術員としてゴキブリの飼育を担当し、やがて「なぜゴキブリは、人間のそばで生きることにこれほど成功しているのか」を知りたいと思うようになりました。そこから、殺虫剤抵抗性や、人の住環境でゴキブリがどのように生き延びるのかを研究するようになりました。
世界には4,000種以上のゴキブリがいますが、害虫とみなされているのは約30種にすぎません。それ以外の多くは、熱帯雨林の林床や樹皮、洞窟などで、生態系の中で重要な役割を果たしています。人間の近くに暮らす一部の種だけを見て、すべてのゴキブリを害虫だと捉えてしまう。その認識は変えていく必要があると思います。
マレーシアとカリフォルニア、異なる都市や気候で研究することで、都市昆虫の見え方は変わりましたか。
マレーシアでは、カリフォルニアよりも都市環境で害虫とみなされる昆虫の種類が多く見られます。ただ、私が研究してきたのは、チャバネゴキブリ、トコジラミ、地中性シロアリなど、世界各地に分布する主要な害虫です。そのため、研究対象そのものは大きく変わりませんでした。
大きく違うのは気候です。熱帯のマレーシアでは昆虫の成長が速く、例えばチャバネゴキブリは45〜50日ほどでライフサイクルを完了しますが、カリフォルニアでは約3か月かかります。気候によって発育速度は変わっても、人間との関係は似ています。
都市で暮らす昆虫の、どんなところに注目していますか。
私は昆虫を単なる害虫とは見ていません。彼らにも生態系の中で役割があります。都市では、人間と昆虫が同じ資源をめぐって競合することがあります。人間は家の中で安心して暮らしたい。一方で、アリやゴキブリは食べ物を求めて入ってきます。
特に興味深いのは、その適応能力です。自然環境には食べ物や水が豊富にありますが、人の家の中は必ずしもそうではありません。それでも昆虫は驚くほどよく生き延びる。人間が殺虫剤を使えば、抵抗性を発達させることもあります。こうした都市昆虫の適応力には、強い敬意を感じます。
ゴキブリやシロアリのような昆虫と、人は共存できるのでしょうか。
難しい問題です。例えば家がシロアリの被害を受け、建物が傷んでいるなら、当然、人は排除したいと思います。
ただ、本当に完全な根絶が必要なのか、という問いはあります。シロアリが家を攻撃しないように対策し、外に留まらせる。ゴキブリも、殺すのではなく、侵入させない、あるいは遠ざける。つまり、すべてを排除するのではなく、人間の生活との間に境界線をつくるという考え方です。
昆虫を殺さずに侵入を防ぐ忌避剤や、侵入した昆虫をその場所から遠ざける刺激剤もあります。技術的には可能です。ただ、家の中でゴキブリを見たとき、多くの人は「追い出せばいい」とは思わず、「殺したい」と考えます。技術だけでなく、人間側の認識も変えていく必要があります。
都市では、どのような害虫管理が望ましいのでしょうか。
IPMにはさまざまな解釈がありますが、本来は害虫の個体数をモニタリングし、一定の基準を超えたときだけ防除することで、農薬の使用を最小限にする考え方です。これは農業では非常に有効です。
一方、都市では事情が違います。家の中のゴキブリに対して、「この数までなら許容できる」という基準を持つ人は多くありません。そこで、都市環境では「予防的害虫管理(proactive pest management)」の方が適していると考えています。害虫が生きるための食べ物、水、繁殖場所などの資源を最初から減らしておく。害虫が繁殖できる条件をつくらなければ、問題そのものを起こりにくくできます。
従来型の害虫防除には、どのような限界がありますか。
従来は、広範囲に効く殺虫剤を散布し、その場にいるものをまとめて殺す方法が多く使われてきました。しかし、この方法は今の時代には合いません。害虫だけでなく、有益な昆虫や天敵まで殺してしまうからです。
現在は、特定の害虫だけを対象にできる技術があります。例えばフェロモンは狙った害虫だけをトラップに誘引できますし、ベイト剤も対象種ごとに特化できます。すべてを一律に排除するのではなく、対象となる生物の生態や行動を理解し、その知識と技術を使って管理することが重要です。
20年後、都市の昆虫はどのように変化すると考えていますか。
気候変動によって、大きな変化が起こると思います。都市が暖かくなれば、害虫の成長は速くなり、個体数も増えます。降雨パターンも不規則になり、雨が多すぎる地域では、本来は屋外にいる昆虫が建物の中に入ってくることも増えるでしょう。
それによってアレルゲンの問題も大きくなる可能性があります。米国では、特に低所得者向け住宅で、チャバネゴキブリによるアレルギーや喘息が深刻な問題になっています。害虫問題は、単に「不快だから駆除する」という話ではなく、健康や住宅環境、経済格差ともつながっています。
昆虫や生態学の視点から、都市の設計を変えるとしたら何を変えたいですか。
一つには絞れません。二つあります。
一つ目は、昆虫に対する人間の認識です。ゴキブリを1匹見たからといって、必ずしも大きな問題とは限りません。アリが数匹いることも同じです。人間側の許容や認識が少し変われば、必要以上に心配したり、過剰に防除したりする必要はなくなります。
二つ目は、建物の構造です。害虫の侵入を防ぐには、設計・施工の段階で隙間をできるだけ減らす必要があります。木材やコンクリートを使う以上、継ぎ目や隙間を完全になくすことは難しいですが、それを最小限にするだけでも侵入は大きく減らせます。人間の認識と、建物のつくり方。その両方を変える必要があります。
次の世代に、都市昆虫学のどんなところを伝えたいですか。
都市昆虫学は、とても面白い分野です。単に化学薬品を使うのではなく、昆虫の生物学、行動、適応の仕組みを理解し、その上で個体数を管理していく分野です。昆虫を扱うことが好きで、人間社会の問題を解決したいという気持ちがある人には、ぜひ進んでほしいと思います。
日本では都市昆虫学者が少ないと言われます。
これは日本だけの問題ではありません。大学では長い間、応用研究より基礎研究が重視される傾向があり、実際の害虫問題に直接向き合う研究者が減ってきました。シンガポールでも同じようなことが起きています。
基礎研究はもちろん重要です。ただ、応用研究も同じくらい重要です。害虫管理の現場で困っている人に直接役立つ知識や技術を生み出すには、応用研究を担う研究者が必要です。
最後に、30年後、どのような都市に暮らしていたいですか。
清潔な都市ですね。優れたゴミ処理システムと排水システムがあり、害虫が繁殖するための資源ができるだけ少ない都市です。
そして、建物そのものが、できる限り害虫の侵入を防げるようにつくられていること。雨の多い地域では、都市に水が溜まらない排水システムも重要です。
ただし、「共存」という言葉ですべての昆虫を同じように扱うことはできません。デング熱などの感染症を媒介する蚊については、人間との接触を可能な限り減らす必要があります。どの生物をどこまで許容し、どこから管理するのか。それぞれの生物と人間への影響を理解した上で考える必要があります。
害虫と人間の接触を減らすというのは、殺虫剤だけの問題ではありません。ゴミをどう処理するのか、水をどう流すのか、建物をどうつくるのか。都市そのもののあり方に関わる問題なのです。